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旭川地方裁判所 昭和34年(ワ)236号 判決

原告 笠原晴雄

被告 国

訴訟代理人 宇佐美初男 外六名

主文

被告は原告に対し金十万円の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を被告、その余を原告の負担とする。

事実

原告は、「被告は原告に対し金百万円の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、わさびの補償金三十五万円

原告は、北海道中川郡美深町字恩根内二十八番地の一、畑五反五畝二十四歩同二十六番地の六畑三畝二十三歩、同二十六番地の七畑六反五畝五歩、同二十六番地の八畑九畝五歩の合計一町三反三畝二十七歩の土地(別紙図面(二)記載の赤斜線部分、以下第一物件という)を所有しており、昭和二十七年春そのうち七反歩の範囲にわさびを植え付けたところ、被告の機関である北海道開発局旭川開発建設部は昭和三十一年度に同恩根内地区を貫流する天塩川の河岸築堤工事(以下本件築堤工事という)を別紙図面(一)記載の赤線を左岸堤防の法線(別紙図面(二)は右築堤工事施行箇所のうち東北側の部分を拡大したもので赤点線が右法線を示し、その後工事途中に於て右法線の一部は別紙図面(一)では緑線、同図面(二)では緑点線のように変更された)として施行することになり、右第一物件をその堤防敷地として必要としたので、原告は被告に対し昭和三十一年七月二十七日付をもつて反当り金二万八千六十二円(この内訳は、土地代金名義として金一万七千九百二十二円、離作補償名義として金一万百四十円)で第一物件全部を売り渡したのであるが、その際、前記わさびについては、土地の売却代金とは別途にこれを補償する旨約した。そこで被告は原告に右契約に基きその支払をなす義務があるところ、その額は、わさび一反歩分についての当時の売買価格は金五万円であつたから七反歩分合計金三十五万円である。

二、堤防用地返還による補償金百三十四万四千百五十円。

原告は大正十三年頃より被告所有の前記字恩根内二十八番地の一、同二十六番地の六ないし八各地先の天塩川堤防用地合計約一町五反(別紙図面(二)記載の黄斜線部分。以下第二物件と称する)につきその管理者たる北海道知事の使用許可を受けてこれを耕作し来つているもので、使用期間は五年であるが、満了後は追願すれば又使用許可が得られ順次更新して昭和二十八年一月一日から昭和三十二年十二月三十一日までの使用許可を受けて耕作していたところ、昭和三十一年に至つて旭川開発建設部より本件築堤工事を始めるから右第二物件を被告に返還せよとの申入れがあり、原告としても期間満了まで約二年を余して営農上差支えを生じたのであるが右建設部は同年二月二十九日美深町恩根内小学校において、その返還について補償をなす旨約したので同年三月三十日原告も右物件全部を返還した。しかして、その補償額は前項記載のように原告の所有地を被告に売り渡した際の補償額反当り金一万七千九百二十二円と同額が相当であり、かつ補償金は通常四年ないし六年分が支払われている実情から考えてその中間五年分を見積つて第二物件については合計金百三十四万四千百五十円となるから、被告は原告に対して右金額の支払義務を負うものというべく、仮に右のような補償支払の契約が存しなかつたとしても被告は国有財産法第二十四条の規定に基き原告に対して右同額の補償をなすべき義務がある。

三、訴外丸山武一所有の土地を違法に買収したことによる損害金十五万二千円。

被告は本件築堤工事のために訴外丸山武一所有の中川郡美深町字恩根内九十九番地の一畑二反二畝一四歩、同番地の二畑一町一畝及び同百七十二番地畑二反八畝二十三歩の二筆面積合計一町五反余歩を買収したが、同土地には原告に対して賃借権設定登記及び売買予約による所有権移転の仮登記がなされていたので、旭川開発建設部は予め原告に対して右各登記の抹消を依頼して来たが、原告及び右訴外人間に於て右各登記抹消につき円満な解決がなされないうちに、被告側は、同訴外人を扇動して右各登記の抹消のため原告を相手方として名寄簡易裁判所に調停の申立をなさしめたのみならず、右各登記の存在する事実を承知しながら、これが抹消されないままに、右武一から前記土地を買収したことは違法な行為というべきであるから、被告は国家賠償法に基き原告が蒙つた損害を賠償する義務があり、右損害額は土地代金を基準として算定するのを相当とするところ、第一項記載の買収土地の反当りの土地代金第一項記載の離作補償は金一万百四十円であるから右土地一町五反分については合計金十五万二千円余となり、原告においてこれと同額の損害を蒙つたから被告はその賠償をなすべきものといわなければならない。

四、牧草の損害金三十万円。

原告が恩根内二十六番地の三、畑六反五畝五歩(別紙図面(二)記載の緑斜線部分、以下第三物件という)を所有し、これに牧草を植え付けていたところ、旭川開発建設部は本件築堤工事のため昭和三十二年八月上旬原告に無断で右土地上同図面黒点線部分にレールを敷設して土砂を運び込んで約二反歩の範囲にこれを積み上げたためその部分の牧草は土砂の下敷となつた。そこで原告は同三十二年十一月十九日付内容証明郵便をもつて右建設部に対してその除去及び原状回復方を申し入れたところ、右建設部は同三十三年春頃右土砂を他へ搬出してレールをも取除いたけれども、冬期半年間にわたつて右土砂を積み上げて放置してあつたため右二反歩の範囲の牧草は枯死して収獲は皆無となつた。しかして、右牧草の販売による一年間の収益は反当り金五万円ないし七万円であつたところ、これがもとの状態に回復し右の収益をあげ得るに至るまでは、今後三、四年間を要するため、原告は、同建設部の右不法行為によつて、少なくとも反当り収益金五万円の割合で二反歩分三年間に得べかりしであつた合計金三十万円の収益を喪失したこととなるから、国家賠償法に基き被告は原告に対し右同額の賠償をなすべき責がある。

五、松浦判官史蹟地破壤による慰謝料金千万円。

原告所有の前記恩根内二十六番地の三畑六反五畝五歩(第三物件)の東南の部分は国道第四十号線沿いの小高い丘となり、下方は天塩川の入江で今もなお清流となつているが、右丘の部分(別紙図面(二)記載の(A)箇所)は、次のような由緒ある史蹟地である。すなわち、安政四年六月十二日幕吏松浦武四郎判官が幕府の命を受けて天塩川の調査のため天塩川口より丸木舟で遡つて、当時同箇所に居住していたアイヌの酋長の許に一泊し、その翌朝名寄方面に赴き、数日後又天塩川を下つて来て同所に一泊して天塩に帰つたもので、右判官宿営の件は松浦判官天塩日記にも記載され、又美深町史にも記載されている。しかして、原告はその所有地内にかかる史蹟が存することを常に誇にし、一般人も又右事実を了知しており、原告は同所に「しころ」「たも」の樹を植え、高台には恩根内産の直径一尺五寸程の石三個をおいて通行人に史蹟地の宣伝をしていたが、昭和三十三年は丁度松浦判官が恩根内を訪れた年から数えて百年目にあたるので、これを記念して原告の費用を以て石標の建立、百年祭の開催その他種々の行事を予定し、美深町長及び同町教育委員会にもその旨伝えて賛同を得ていた矢先、旭川開発建設部が昭和三十二年八月頃本件築堤工事のためと称して右史蹟地にあたる(A)箇所の土砂を盗み去つて同年十月上旬頃までに同所を跡形もなく破壊したため、原告の計画した前記各行事も立ち消えの止むなきに至つた。原告はこれより先昭和三十二年六月十一日右建設部に対して右箇所が史蹟地である事実を伝えてこれを売却できない旨申し入れておいたから、同建設部としては右事実を十分了知していた筈であり、それにも拘らず右のように土砂を運び去つたもので、原告は同年十月二十八日付内容証明郵便を以て右建設部に対して右所為の不当である旨を通知したところ、同建設部は一旦搬出した土砂を元に運び返したがその原形には復さず、又仮に原形に復したものと判断されても史蹟地としての価値はその根底より失われたことが明らかである。すなわち原告は右建設部の所有権を無視し人権を蹂躙した行為によつて比類のない史蹟地を失い、将来の希望も目的も断たれて甚大な精神的損害を蒙つたもので、これを慰藉するには金千万円を以て相当と思料される。よつて国家賠償法に基き被告は原告に対して右同額の賠償をなすべき義務がある。

六、以上の次第であるから、原告は被告に対し第一ないし第五項記載の各金額を合算した金千二百十四万六千百五十円のうち、金百万円の支払を求めるための本訴に及ぶ。

と陳述し、被告の抗弁に対し、第(四)(2) および第(五)(2) 記載の各事実はいずれも否認すると述べた。

証拠〈省略〉

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

一、請求原因第一項記載の事実中、原告が昭和二十七年春その所有の第一物件のうち七反歩の範囲にわさびを植え付けたこと(尤も、若干の範囲にわさびが生えていたことは認める)、そのわさびの時価が一反歩分金五万円であつたことおよびわさびについて別途に補償をなす旨約束したことはいずれも否認する。

その余の事実は認める。

二、請求原因第二項記載の事実中、原告が北海道知事の使用許可によつてその主張どおりの経過の下にその主張どおりの定めで被告所有の堤防用地たる第二物件(但しその面積は四干七百五十二坪である)を使用していたが、本件築堤工事のため、その主張の日付をもつて右物件全部を被告に返還したことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

右第二物件は河川法第十八条によつて原告に使用を許可したもので、原告の被告に対する返還は原告の任意になされたものである。

三、請求原因第三項記載の事実中、被告が訴外丸山武一を煽動したことおよび原告が損害を蒙つたことは否認する、原告と同訴外人等と登記抹消につき解決を計つたことおよび同訴外人が名寄簡易裁判所に調停の申立をしたことは知らない。その余の事実はいずれも認める。

四、請求原因第四項記載の事実中、旭川開発建設部が第三物件の一部に築堤工事のためのレールを敷き土盛をしたことおよび原告の申入により同建設部がレールを外し土砂を元に戻したことはこれを認めるが、第三物件に原告が牧草を植付けたこと、同物件上で同建設部が原告に無断で工事をなしたこと、二反歩の範囲の牧草が枯死したこと、牧草による収益のあることおよび原告が損害を蒙つたとの事実は否認する。同建設部が第三物件上にレールを敷設した日は昭和三十二年八月三十日であり、同年九月五日から土盛を開始し、同年十二月末日に至つてこの土砂を取り除いて該物件を原状に回復したものである。

五、請求原因第五項記載の事実中、原告所有の第三物件内の別紙図面(二)記載の(A)箇所から旭川開発建設部が本件築堤工事のため土砂を取去つたこと、原告からその主張の日付の内容証明郵便で異議を申し立ててきたこと、同建設部が一度運び去つた土砂を同箇所に戻したことは認めるが、右土砂除去が原告に無断でなされたこと、同箇所を跡形なく破壊し、原状に復していないことは否認する。その余の事実はいずれも知らない。同建設部が(A)箇所から搬出した土砂の量は約四十立方米である。

と答え、さらに、

一、本件築堤工事の経緯について

(一)  美深町字恩根内地区においては、例年天塩川が氾濫し、その都度農耕その他に少なからぬ損害を蒙つていたところ、たまたま昭和三十年度において大水害に襲われた。そこで同地区の住民が同年十二月に恩根内地区治水促進期成会を結成して積極的に関係機関に対し堤防設置の運動を展開した結果、本件築堤工事の施行をみるに至つたものである。

(二)  しかして、その工事施行については、堤防の設置される土地、すなわち堤防敷設地を確保する必要があつたところ、右敷設地のうちには、私人の所有に属するものと、すでに被告において同敷設地として所有するもの、すなわち堤防用地とがあり、また堤防用地の一部はその管理機関である北海道知事の使用許可によつて同地の住民の使用に委ねられていたので、本件築堤工事を円滑に遂行するには、あらかじめこれら堤防敷設地の所有者や、堤防用地の使用者(以下これらの者を関係人という)より、施行についての了承を得る必要があつた。そこで工事施行にあたる旭川開発建設部は、昭和三十一年二月二十九日恩根内小学校に関係人の出席を求め、他方同建設部側からは同建設部治水課長の訴外工藤字面、同用地課長の訴外鈴木邦生および同用地係長の訴外阿部哲雄等が出席し(以下此の会合を説明会という)、同訴外人等から本件築堤工事の全体計画ならびにその工事用地の買収補償問題について説明したうえ、関係人等に対し本件築堤工事施行についての了承を求めたところ、これに出席していた原告を含めた関係人全員が快諾した。

(三)  かくて、旭川開発建設部は右のとおり一応関係人全員の了承を得たうえ、さらに着工前に関係人から個々的に起工承諾書を徴し、つゞいて工事に必要な関係人等所有の堤防敷設地を買収し、また被告所有の堤防用地の返還をうけて本件工事に着手したものである。従つて、本訴の対象となつている物件についても、被告側に於て前述のとおり、原告から昭和三十一年三月三十日付の堤防敷地使用全地返還許可申請をもつて、第二物件の任意返還をうけ、同年七月二十七日付で第一物件を買収し、なんら支障もなく本件築堤工事を進めたのである。

(四)  ところで、当初の堤防の法線は別紙図面(二)記載の赤点線(以下変更前の法線という)のとおりであつたが、原告の再三の懇請もあつたので、右建設部は工事が相当進捗した昭和三十二年七月下旬同図面緑点線の如くその法線を変更した。そこでこれに従つて工事を進めるとなれば、被告側において当然その法線にあたる部分の原告所有の第三物件を買収するか、少くともその使用許諾を得る必要があつたが、当時の工事進捗の度合、築堤工事の緊急必要性等からみて、これを買収するために工事を中止することはできなかつたところから、まず第三物件上に築堤することの承諾を得て工事を続行することとし、昭和三十二年八月二十八日頃前記工藤および同建設部美深出張所長の訴外福井逸郎等が原告宅に赴いてその承諾を求めた結果これが得られたので、右建設部は同月三十日から同物件上に土砂運搬用トロッコのレールを敷設し、同年九月五日から同物件上の法線に従つて土盛りを開始したところ、工事の完成間近になつた同年九月十七日突然原告から内容証明郵便で同物件上での築堤工事の中止方の申し入れがあり、つゞいて同年十一月十九日付内容証明郵便で右物件の原状回復方の申し入れがあつたので、工事を中止し、同年十二月十日から同物件上に築いた堤防用土砂の撤去を開始して同月末日右物件を原状に回復した次第である。

二、原告主張に対する反論

(一)  請求原因第一項記載の事実につき。

第一物件には若干野わさびが生えていたにすぎず、買収当時に雑草に埋れてなんら手入れが施された形跡もなく、しかもその大部分は殆んど市場価値に乏しい粗悪なものであつた。従つて、右わさびは土地とは別個独立の取引の対象とはなり得ず、その所有権は土地買収により当然土地と一体をなして被告側に移転されており、また土地買収当時被告側としても、本件わさびが右のように粗悪なものであつたから、特にこれに対する補償を考慮する必要も認めなかつたので、これに対して補償をなす旨約束した事実はない。

(二)  請求原因第二項記載の事実につき。

本件工事を開始するに当り、前記の説明会においては、訴外鈴木用地課長が補償の問題について、補償の対象、その額の算定方法等に対し一般的説明をしたに止まり、関係人個人に対し具体的にどれほど補償するということは勿論、単に抽象的にも関係人全員に対して補償するという事はなんら説明しておらず、かえつて、堤防用地の返還に伴う関係人からの補償要望に対し、同用地は必要があれば無条件で返還するということを条件として使用者等に使用が許されていることであるから、この返還について補償することは不可能である旨の答弁がなされているのであつて、これらの説明以外になんらの取り決めもされていなかつたものであり、原告もこの説明会に出席して充分このことを承知している筈であるうえ、原告は前記のように返還許可申請書をもつて任意に同用地を返還しているのであるから、被告としてはこれが返還を受けたことにつき如何なる観点からするも補償の義務はないのである。

(三)  請求原因第三項記載の事実につき。

原告主張の賃借権設定登記および売買予約による所有権移転の仮登記が存在するに拘らず、これを抹消しないまま本件不動産を買収したからといつてなんら違法ではない。けだし、右各登記が存在しても、土地所有権者は当該土地の処分行為をなし得ないものではなく、またかかる土地に対する売買が無効となるものではないのであつて、このことは当事者が国であると私人であるとによつて差異を生ずるものではないからである。

(四)  請求原因第四項記載の事実につき。

(1)  本件第三物件内において旭川開発建設部が築堤に使用した箇所は概して湿地帯で、附近には雑草が叢生してはいたが、特に家畜の飼育のために植えられたと目されるような牧草が生えていたわけでなく、いわば、何処の荒地にもみられるような雑草が生えていたにすぎず、如何なる観点からするも、それが取引の対象とされるような市場価値のあるものではなかつた。従つて、かりに本件築堤工事によりこれらの雑草の繁殖が若干妨げられたとしても、なんら原告に損害を生ずる筈はない。

(2)(抗弁)かりに、原告に損害が生じたとしても、同物件内における変更後の法線に従つての工事は原告の再三の要請によつてなされることになつたものであり、かつ被告側において昭和三十二年八月二十八日あらかじめ原告から同地上に堤防を設置するについての了承を得て開始されたものであることは上述のとおりであるから第三物件上の土砂の積上は原告に於て当該承諾していたものというべく、かつ同地上で右建設部が使用した土地の範囲は、本件工事に必要な最低限度に止まり、これを超えて不当に同物件を荒廃せしめてはいないのであるから、同建設部の本件工事施行が不法行為を構成するいわれはない。

(五)  請求原因第五項記載の事実につき。

(1)  本件(A)箇所には、土砂採取当時はなんら原告主張のような史蹟地であることを明示する標識はなかつたし、「幕吏松浦判官探険宿営之地」なる標識は、現在一級国道四十号線の路傍にあることは事実であるが、その位置は同(A)箇所よりほゞ北東二、三百米の地点であつて、かかる点からすれば、同(A)箇所を同判官宿営の地とする主張は誤りであることが明白である。

また、右(A)箇所は上記のようにすでに原状に復しているのであるから、原告にはなんらの損害も生じてはいないというべきである。

さらに、同箇所が松浦判官宿営の場所であつたとしても、かかる事情はいわゆる特別の事情に属するものというべく被告側においては、土砂採収当時かかる事情を全く予見してはおらず、また予見し得べかりし状態にもなかつたのであるから、原告が右土砂採取によつて損害を蒙つたとしても被告においてその損害を賠償する責はない。

(2)(抗弁)(A)箇所の土砂採取については原告に於て黙示的にこれを承諾していたものである。すなわち、本件変更後の法線に従つて築堤工事をなすとすれば、技術的に当然(A)箇所の土手を取りくずすことになるものであつた。すなわち、変更後の法線は別紙図面(二)によつて明らかなとおり、一級国道四十号線上に延びており、従つて工事が完成すれば、堤防は右国道上に設置されることになつていた。そして設計によれば、右国道の両側溝を流れる水はこれを堤外に排出させることになつており、右設計により工事を進める場合(A)箇所は、右側溝の排水の妨げとなるので、いずれは、その部分を取りくずす必要があつたから、本件築堤工事においては、あらかじめ(A)箇所を取り壊しそれによつて生ずる土砂を堤防に使用することにすれは、工事も合理的に進展し、大いに無駄を省くことができたわけであつた。しかして、原告においては、前述のとおり変更後の法線に従つて本件築堤工事の起工を承諾していたわけであるから、右にのべた工事施行の方法からみれば、(A)箇所についても、少くともそれが本件築堤工事のためなうば、旭川開発建設部がある程度の地形の変更を行うことについては、原告において黙示の承諾をなしていたものといい得るのである。

よつて、原告の本訴請求はいずれも理由がないから、これに応ずるわけにはいかない。

と述べた。

証拠〈省略〉

理由

一、わさびの補償金三十五万円の請求権の存否。

被告の機関である旭川開発建設部が昭和三十一年度に於て天塩川築堤工事を別紙図面(一)(二)記載のとおりに当初は赤線(赤点線)部分を堤防法線として施行することになり、昭和三十一年七月二十七日付をもつて、その堤防敷設地として必要であつた、原告所有の第一物件を被告側において買収したこと、その当時同物件上にわさびが生育していたこと(その生育面積及び状態については争がある)は当事者間に争いがない。

しかして、成立に争いがない甲第一号証、同乙第三号証ないし同第六号証と証人東(第一回)、同高附(第一回)、同阿部(第一、二回)、同鈴木、同細川の各証言および原告本人尋問の結果並びに検証の結果によると、原告は、昭和二十七、八年頃同物件のうち七、八反歩の部分にいわゆる野わさびを植えつけ、これを採取して他に売却して収益を得たこともあつたこと、しかして、昭和三十一年五月頃当時旭川開発建設部補償係長の職にあつた訴外阿部哲雄が両物件を含めて堤防敷設地となる地域の現地調査をしたとき、原告もこれに同行したが、その際原告から同訴外人に対し、右のわさびを採取する関係で同物件上での築堤工事を一年間待つてもらいたい旨申出でたこと、同訴外人および当時同開発建設部用地課長であつた訴外鈴木邦生と原告との間で、昭和三十一年七月二十六日同物件の売買契約がとり交わされた折に、原告からわさびに対する補償支払の要求があつたのに対し、同課長から考慮してみる旨の回答があつたので、原告において、さらに四月三十一日同建設部宛に郵便で、第一物件の売却によつて、五年計画で植えつけたものを四年間で採取しなければならないことにより損害を蒙ることになるから、この事情を斟酌して第一物件の買収価格を増額してもらいたい旨の申入れをなしたこと、さらに、同物件につき昭和三十二年二月十九日(乙第三号証中所有権移転登記受附年月日が昭和三十二年二月二十九日とあるのは明白な誤記と認められる)被告側に対して買収を原因とする所有権移転登記がなされたが、その後同年夏頃にも原告から被告にわさびの補償に対する要求があつたこと、そこで被告側においても、原告から右のように再三申入れがあつたことであるから、訴外阿部がその必要があるか否か念のため調査をしたけれども、結局は、市場価値がなく、補償の必要はないものと結論したこと、然しながら同物件上の築堤工事施行は原告の要望をも容れて買収の翌年にあたる昭和三十二年度に於て施行したことが各認定でき、前掲各証言および原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用できないし、他にこれを覆すにたりる証拠は存しない。右認定したところによると、わさびは一応市場価値のあるものではあつたことが窺われるけれども、原被告間はこれについての補償の約定があつたものとは考えられず、かえつて、原告が被告側に対し第一物件上にかかるわさびが植えられているので同物件の買収価格の点で特別考慮するか、或いはこれと別途に補償して貰いたい旨要求したけれども、結局において拒絶されたことが明らかである。そして、他にかかる約定の存在を認めるにたりる証拠がない。

そうすると、補償支払の約束のあつたことを前提として、その履行を求める原告の請求は爾余の点を判断するまでもなく、失当として排斥する他はない。

二、堤防用地返還による補償金百三十四万四千百五十円の請求権の存否。

原告は、大正十三年以来管理者たる北海道知事の使用許可により、使用期間は五年間で、継続使用の許可があればこれが更新されるとの定めで、被告所有の第二物件を使用してきたものであり、最後の使用許可による使用期間は昭和二十八年一月一日から同三十二年十二月三十一日までであつたところ、本件築堤工事のため昭和三十一年三月三十日付をもつてこれを被告側に返還したことは当事者間に争いがない。

原告は、被告の機関である旭川開発建設部が、昭和三十一年二月二十九日恩根内小学校において、同物件返還に対する補償金を支払うことを約束した旨主張し、証人東の証言(第一、二回)および原告本人尋問の結果によると、同建設部においてかかる約束をした旨の供述が存するけれども、同供述は後掲認定事実に対比してにわかに措信できないし、原告の援用する証人山本義雄、岡田村与次郎、同吉田昇の各証言によつてもこれを認めるにたりず、その他右主張の事実を肯認し得る証拠はなく、却つて、成立に争いがない乙第七、八号証および証人東(第一、二回前記措信できない部分を除く)、同高附(第一、二回)、同阿部(第一回)、同鈴木、同細川、同工藤(第一回)の各証言を綜合すれば、本件築堤工事の施行につき必要とされる堤防敷設地には、私人の所有に属する土地と被告が所有しその管理機関である北海道知事の使用許可によつて原告を含む恩根内地区の住民に使用を委ねている堤防用地があつた関係で、同工事を円滑に遂行するためには、まずこれらの所有者、使用者等関係人から工事施行の了承を得る必要があつたため、旭川開発建設部は、昭和三十一年二月二十九日恩根内小学校に原告を含む右関係人等の出席を求め、同建設部側からは治水課長の訴外工藤学而、前記の訴外鈴木用地課長、同阿部補償係長等が出席して、同訴外人等から本件築堤工事の全体計画および工事敷地の買収についての補償問題に関し説明をなしたこと、その際、右鈴木が補償の問題について説明をしたが、その内容は、私人所有地の買収価格、その基準についての一般的説明をしたに止まり、具体的に関係人個人毎にどの範囲の土地をどれほどの価格をもつて買収するなどと話をしたわけではないし、かつ被告所有の堤防用地の返還については、関係人の一部の者から、これを返還することにより同土地での耕作は不可能となることに対する補償すなわちいわゆる離作補償の要求があつたが、これに対しては、被告において河川に関する工事施行等で必要とする場合には、一方的に用地使用の許可を撤回し、その返還を求め得るとの条件のもとにこれが使用を許可されているものであるから、堤防用地の返還を受けても右離作補償を支払うことはできない旨回答したところ、殆んどの者はこれを了承し、原告においても、右返還の勧告に応じ、任意返還の形においてこれを被告に返還したことを認めることができるのであつて、証人東の証言および原告本人尋問の結果中右認定に相違する部分は信用できない。

従つて、本件堤防用地返還に対して、いわゆる離作補償を支払う約束があつたことを前提とする原告の請求は理由がないものというべきである。

しかるところ、原告は、右約束がなかつたとしても、被告において国有財産法第二十四条の規定に基き補償金を支払う義務があると主張するが、原告の本件堤防用地の返還は、被告側において、一方的に許可を撤回したことによるものではなく、原告において、本件築堤工事施行を了承のうえ、任意にその返還をなしたものであることは前段認定のとおりであり、国有財産法第二十四条の規定は、被告側が一方的に使用許可を撤回したことにより損失を与えたような場合に関する規定であつて、本件の場合に関する規定であつて、本件の場合に適用さるべきものではない。そうすると、この点においてもまた原告の主張は失当といわなければならない。

三、訴外丸山武一所有の土地買収による不法行為の成否。

原告のこれに関する主張は、要するに、訴外丸山武一所有の土地には原告を賃借権者および仮登記権利者とする賃借権設定登記および売買予約による所有権移転の仮登記が存しているのに、被告においてこれを抹消しないままに買収したのは違法であるというのであるが、たとえかかる各登記が存在していても当該土地の所有者がこれを他に売却すること、また買受人がその所有権を取得することについてなんらの妨げとなるものではなく、このことは該土地の買受人が国であつてもなんらその理を異にしない。従つて被告が右各登記を抹消せずにこれを訴外丸山から買収したとしてもなんら違法とはいえない。

してみれば、この点についての原告の請求は理由のないことが明らかであるから、失当として排斥すべきものである。

四、牧草の損害金三十万円の請求権の存否。

本件第三物件は原告の所有であるところ、旭川開発建設部が昭和三十二年八月頃同物件内の別紙図面(二)記載の黒点線部分に土砂運搬用のレールを敷設して、その上面に土砂を積み上げたことおよび原告において同年十一月十九日付内容証明郵便をもつて、その除去方を申し入れたことは当事者間に争いがない。原告は右土砂積み上げの範囲が約二反歩であると主張するがこの点に関する原告本人尋問の結果はこれを措信し難く却つて検証の結果によれば右範囲は約一反歩であることが認められる。しかして右建設部が原告の申し入れにより工事を中止して、同年十二月十日から右土砂の撤去を開始し同月末日右土砂を取り除いたことは弁論の全趣旨により明らかであるけれども、証人東、同阿部、同高附(以上いずれも第一回)、同鈴木および原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)ならびに検証の結果に徴すると、右土盛をしたところは若干湿地帯であつて、特に牧草採取の目的をもつてこれを植えつけたか否か不明ではあるが、よもぎ等の雑草に混つて、くろーばー、だいおー等の牧草類が生えていたところ、右土盛によつてその採収が不可能となつたし、また上記のように一応その土砂を取り除きはしたものの未だその土が幾分残つているために、この部分の牧草類は枯死したものと認められ、証人東(第一回)、同鈴木の各証言と原告本人尋問の結果中右認定に反する部分はにわかに措信できないし、他にこれを左右するにたりる証拠はない。しかしながら、右の牧草がかく採取不可能になつたことによる、ないしは枯死したことに基く損害額については、原告本人尋問の結果中に、これに関し金三十万円相当の損害を蒙つた旨の部分があるが、同部分は前記認定事実に照してこれを措信し難く、その他損害額を確定するにたりるなんらの証拠はない。

そうすると、原告の右請求は他の点を考えるまでもなく理由のないことが明白であるから、採用の限りではない。

五、松浦判官宿営地破壊による慰藉料請求権の存否。

本件第三物件は前記のとおり原告の所有であり、別紙図面(二)記載のように同物件内に原告主張のような地形の(A)箇所が存在していたことは当事者間に争いがないところ、証人東(第一回)、同高附(第一、二回)、同福井逸郎の各証言と原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)および検証の結果ならびに弁論の全趣旨とを考え併せると、原告は、かつて幕吏松浦武四郎判官が幕府の命によつて天塩国の調査に訪れた際、安政四年六月十二日天塩川を遡つてきて恩根内に上陸宿営したことがありその地点が、右の(A)箇所であると信じ、昭和十三、四年頃、その目印として、特段目立つものではなかつたが、右(A)箇所に「しころ」「たも」の樹二本を植え、同図面(三)表示の(い)附近の高台部分には恩根内塗の直径一尺五寸位の石三箇を置いたほか、その頃「幕吏松浦判官探険宿営之地」なる標識を(A)箇所からほゞ北東二、三百米の地点で一級国道四十号線路傍の鉄道線路わきに建てて、右(A)箇所およびその附近が由緒ある史蹟地であることを旅行者にも宣伝しようと試みていたこと、また昭和三十三年は同判官が恩根内に宿営した前記安政四年から数えて百年目にあたると考えたところから、昭和三十一、二年頃その百年祭の行事を同地点で開催しようとして、美深町長や同所教育委員会の賛成を得ていたなど同地点に愛着と誇りを有していたところ、後記のとおり、同所が破壊されたため、これが傷つけられるに至つたことが各認定され、証人福井、同細川の各証言と原告本人尋問の結果中右認定に反する部分はにわかに措信できないし、他にこれを覆えすにたりる証拠は存しない。

次に旭川開発建設部が(A)箇所の土砂を築堤工事に使用させるため採取したが、その後原告の原状回復方の申し入れによつて右土砂を元に戻して現在の状態となつたことは当事者間に争なく成立に争いがない甲第六号証、同第七号証の一、二、同第八号証ないし同第十号証および証人高附(第一回)、同工藤(第一ないし第三回)の各証言と原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)ならびに検証の結果を綜合すれば、右(A)箇所の現状は、その上面が別紙図面(三)の赤色部分表示のとおりであり、赤点線のところまでその底面の東側面が伸びているが、後述のようにその土砂が取り去られるまでは同図面緑点線のところまで、底面の東側面が国道四十号線の道路縁まで伸びており同箇所の高さも現状よりも約二、三十糎高く、かつその土層の構造も上部(赤土)と下部(黒土)とは異つていた状態にあつたところ、右建設部において、昭和三十二年七月下旬本件築堤工事の当初の法線、すなわち同図面(二)表示の赤点線を同表示の緑点線のように変更し、この変更後の法線に従つて築堤をなすことになつたのである(法線が右のように変更されたことは当事者間に争いがない)が、右変更後の法線どおり築堤された場合に東方山地側より流れ来つて(A)箇所附近に滞留することになる水を堤外に排出するための排出溝を設ける関係から、右(A)箇所の土砂を除去した方が本件工事遂行のために便利であるとの考えのもとに、右築堤の際に同所から土砂を採取しこれをもつて右築堤に使用した結果、同箇所の前記のような原形を全く破壊してしまつたこと、尤も前記のように原告の原状回復方の申し入れによつて第三物件内での工事を中止してその原状回復に努め再び(A)箇所に土盛りをなして漸く現状の程度までに回復したことがそれぞれ認められ、前掲各証言と原告本人尋問の結果中右認定に相違する部分はたやすく採用できないし、他に右認定を妨げるにたりる証拠はない。

しかるところ、被告は、原告において昭和三十二年八月二十八日第三物件内で変更後の法線に従つて築堤をすることに同意したものであり、かつ同法線に従つて築堤工事をなすとすれば、当然(A)箇所を除去する必要があつたから、原告は少くとも本件築堤工事のためならば同箇所を除去されることについても黙示の承諾があつた旨主張するから判断する。

前説示のとおり、当初の法線が工事中途において変更されたことは当事者間に争いがないところ、証人工藤(第一ないし第三回)、同鈴木、同福井の各証言中に、右変更後の法線に基き第三物件上に於て築堤工事を施行することにつき、その主張の頃原告の承諾があつた旨の部分があるけれども、右部分は後記認定の事実に対比してたやすく措信できないし、その他本件全証拠によつても右の同意の存在を認め難く、却つて、成立に争いがない甲第二、三号証(いずれも一および二)、同第十二号証と、右各証言(前記措信できない部分を除く)および証入高附(第一、二回)、同細川の各証言、原告本人尋問の結果および検証の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、昭和三十一年二月二十九日、前第二項認定のように、恩根内小学校において説明会が開催されたとき、当初の法線どおり築堤されることになれば、別紙図面(二)の(A)箇所の東側附近から流れて来る水が同箇所附近の堤防内に滞留することになるため、原告において、被告側に対し、変更後の法線のように築堤してもらいたい旨要望したところ、訴外工藤課長が今後なお検討する旨回答したまま、右要望が一応見送りの形となつて当初の法線どおり工事が進められたが、その後昭和三十二年五月下旬、同訴外人において右法線の変更につき検討するため第三物件を現地調査した際、原告と法線変更および後記のように原告の不満を懐いている問題の解決等につき話し合つたこと、しかして、右調査の結果、被告側においては、法線変更を妥当と考え、これによつて築堤工事をすることに決定はしたけれども、未だ原告から同物件内での工事についての承諾を得ていなかつたため、同訴外人或いは訴外鈴木課長が同年七月下旬頃から同年九月下旬まで数回にわたつて原告に第三物件内の築堤工事に必要とされる土地の売り渡し、または少くとも同物件内での築堤工事施行の承諾を求めたこと、しかし、これより先、被告側は本件築堤工事のため原告を所有権移転仮登記権利者および賃借権者とする各登記の存する訴外丸山武一所有の土地を買受けたのであるが、その際に原告において同建設部の申し入れによつて同訴外人とその登記抹消につき協議をすすめていたところ、同訴外人が昭和三十二年三月十二日同建設部の勧めによつてその抹消方について原告に対し名寄簡易裁判所に調停の申立をしたため原告が二度にわたつて同裁判所への出頭を余儀なくさせられたことがあつたし、また原告の所有地を買受けるにあたつては、その土地に存した仮差押、抵当権等の登記を抹消しないかぎり代金を払わなかつたのに、右丸山の土地については、右登記の存するまま買受けて代金の支払をしていたこと等に対し被告の違法行為であるとか不公平な措置であると憤慨していたことおよび前第一項判示のようにわさびの補償金の支払のないことに不満を有していたこと等の事情から、原告はこれらの問題が解決されないかぎり第三物件で築堤工事をすることには応じられないとして承諾を渋つていた事実を各認定するに十分であつて、前掲各証言中これに反する部分はにわかに信用できない。よつて被告の右主張は理由がない。

しかして以上のとおり、原告に於て(A)箇所を破壊されたため史蹟地としての価値を失つて精神的打撃を受けたとしても、これはいわゆる特別事情による損害と解すべきところ、前示甲第七号証の一、二と証人工藤(第一回)、同福井の各証言および弁論の全趣旨によると、本件築堤工事施行に関与していた旭川開発建設部美深出張所々員数名が昭和三十二年六月十一日頃第三物件内で法線変更による築堤工事のための測量をしていたところ、原告がたまたまこれを発見憤慨しその非を責めたうえ、(A)箇所は松浦判官宿営の地であり、これに誇りと愛着を有しているので、たとえ本件築堤工事のためであつても売却することはできない趣旨のことを伝えたことが肯認され、前示証言中これと異る部分は措信できず、他にこれを覆す別段の証拠はないから、被告側において、かかる特別の事情を予見していたものといわなければならない。

しかして判官松浦武四郎が幕命により天塩国を含む北海道全域にわたり探険をなしたことは歴史上公知の事実であるが、右(A)箇所が同判官の上陸宿営の地であつたことについては、本件全証拠によるもこれを確定し難いところである。然しながら原告本人尋問の結果によれば、原告に於て右(A)箇所が同判官上陸宿営地点と信ずるに至つたのは、同所にかつて居住したアイヌ人某の伝承に基き、考古学者の意見を聴きその地形を判断した結果であるものと認められ、その真否の程はともかく右確信が或る程度の客観性を有するものである以上、右確信に基いて(A)箇所に対して抱いた愛着の念と誇りが傷つけられたことによる精神的損害についてはこれを慰藉するのが相当というべきである。

更に証人工藤(第三回)の証言ならびに検証の結果によれば右(A)箇所の南側の一部が被告所有の国道第四十号線敷地となつていることが認められるが、右事実も原告の精神的損害に対する賠償責任を軽減こそすれこれを免れしめるものではない。

以上説示したとおりであるから、被告は国家賠償法第二条に基き原告に対し被告機関である旭川開発建設部が本件築堤工事に当り(A)箇所を破壊したことによつて原告が受けた精神的苦痛を慰藉すべき責があるとごろ、上叙認定の同箇所に対する原告の愛着の度合、被告の同箇所破壊の経緯、度合、その後の回復の程度とかその他本件口頭弁論に顕われた諸般の事清を斟酌すると、右慰藉料の額は金十万円をもつて相当と解する。

六、よつて原告の本訴各請求中、上記第五項説示の被告に対する慰藉料請求のうち、金十万円の支払を求める限度においては正当として、これを認容し、その余の請求はいずれも失当としてこれを棄却する。そこで、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十二条を適用し、なお、原告は担保を条件とする仮執行の宣言を求めてはいるが、その必要があるとは考えられないから、これを許さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 森綱郎 小木曽競 岩之内一夫)

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